魔法少女への尊敬、不安、憧れ、そして
つい最近TLにまどマギの話が出て便乗ツイートをしたのだけれど、自分はまどマミが好きだ。
マミがシャルロッテに捕食された絵面が最も有名と言っても差し支えのないまどマギ3話だが、マミがその戦いに望むまでのシーンがまどマミ好きのボクの印象に残っている。
ここは思考と嗜好の雑多極まる僻地
つい最近TLにまどマギの話が出て便乗ツイートをしたのだけれど、自分はまどマミが好きだ。
マミがシャルロッテに捕食された絵面が最も有名と言っても差し支えのないまどマギ3話だが、マミがその戦いに望むまでのシーンがまどマミ好きのボクの印象に残っている。
きららの系譜を辿ったような、主として和みを重視する作品を多く愛好しながら、実態はそこに潜む謎の部分を突き詰めようとしてしまう。
そんな自分が別ベクトルから愛好する作品『大家さんは思春期!』の、今日発売になった最新6巻を読了。
今回はタイトル通り。
ある方に勧められて購入したステラのまほう、現在発刊されている3巻までを読了。
TLに何度か回ってきたことのある記事1があった。
その中で「嘗て考察が殆どだった『サブカルファン』2たちの現在のコミュニケーションは『性的表現』3前提であるケースが圧倒的多数を占めている」という説が宜しくない意味で、そして両者を対立させる構図で展開されていた。
ボクにはそれが妙に引っかかった。
で、考えた。
結果として引っかかった理由がやっと分かった。
それは、考察と性的表現の可分性が証明できていないから。