不安も心配も涙も見せちゃって:『こみっくがーるず』115話

振り返ってみたら前に感想書いたの、3ヶ月前でしたね。いやマジで?

こういうことがままある背景はまあ単純で、113話にして「これどう幕引きするんだ……?」と自分の中において好みの面でも評価の面でも全く予想ができなくなったのが、だいたい理由としては大きかったりします。
(他には昨年末辺りからまたゲームをやりまくりたい時期に入っていたり、それ以前に何か考えたことがあってもTwitterやふせったーを開くのが億劫になったままだったり、といった原因などもあるんですが、それはまた別のお話)
そんな中でいざ迎えた、ひとまずの完結回。抽象的な形容をするのであれば「スッと入ってきてじんわり染み渡る」感じのエピソードでした。

原点回帰したようなわちゃわちゃ感から、正しく原点を意識させるラストと

正直かおす先生が七転八倒している様を見る、その時が一番「ああ今こみが読んでんな〜」と思うものでして。
ボク個人の中では、これはこみがの魅力というよりこみがらしさと称するのが的確な位置づけなのです。
そうして七転八倒しながら前進を続ける、かおす先生の歩みがゆったりとしたものであっても、そこに本作を追いかける楽しさははっきり生じている。そこがこみがの魅力の1つなのかな、とも感じます。

前回 (114話) は、絵を描き続けてきたかおす先生のルーツがとうとう明かされもしました。
その経緯がまた実にこみがらしくて (夫妻でそんな都合良くいきなり左右片方ずつ腕をやるなんて……) 、ちょっと苦笑いをしたものでした。
他方、主人公の筆頭であるかおす先生は、実家に帰省する度何らかの前進を見せてきたのも事実。先述の通り実直な成長物語は魅力的に映るものですし、その魅力は普遍的なのです。

アニメ化を機に改めて一目置くようになった後、ボクがこみがに没頭する直接のきっかけとなった58話は、そんな普遍性の文脈でもターニングポイントになったとここでも言いたくなりますね。

「あいかわらず……ではなく」なるくらいの時間

長々前置きをしてきましたが、そろそろ本編の感想に移りましょう。
この半年という期間も、またこみがらしいなと思ったりしました。詳しくは後述。
かおす先生、定期的に和菓子店の実家へ帰るようになったんですね。まんがを通して間接的に親孝行するだけでなく、直接的な親孝行にもなるし、お店やご両親のことを知るのはもちろん「自分で経験する」からこそまんがとしてディティールを描きやすくなったりもするでしょう。とっても理に適ってる。

出寮の選択を考える寮生たち

あすか先輩が寮を出るのは、割と腑に落ちるものですね。年長者である点で、自立を意識するのは自然でしょう。
フーラ先輩の存在もありますが、そのフーラ先輩が寮母のほうにお勤めをシフトさせているのを考えると、時間の使い方が違うであろうあすか先輩は取材旅行のしやすさ、小回りを考えたくなるのだろうと何となく推察。
まあ、実際の行動が突然なのは相変わらずなようで、怒り (?) の来襲を受けてますが。フーラ先輩は容易に想像がつくとして、翼さんまでダッシュで来てるのが笑った。

対して、もんちゃんぶんちゃんが引っ越しを検討している様子なのは結構驚きでした。先に出寮した、師と思しきラン先輩を今でも憧憬している面が多分にありそうです。
二人暮らしではなく「隣同士に住む」つもりなのが個人的最高ポイント。93話、珍しく単独で出てきたもんちゃんに我ながら盛り上がっていたのももう懐かしいですね。端からコンビの前提でいるコンビではなく、一人の人間が二人で歩調を合わせていくから、ボクはコンビやバディ、CPの類を見るのも好きなんです。 いつでも一緒にいるのが当たり前ではないかもしれないけれど、ゆえにこそ隣同士でいたい。その思いが垣間見える二人、素敵だなあ。
……しかしよりによって、あの1エピソードでもんぶんへの視線がガラリと変わるなんて、我ながらおかしな感覚でもあるよなあ……w

共にまんがを描く仲間たち

そんなドタバタの時期に旅行を敢行するマイペースなくりみき……というかこれ考えたのくりすかなきっと。っぽいなあ。
行先が徳島な辺りこっちはこっちで帰省を兼ねていそうな気もしますが (マカミカもその場で同行を申し出ていることから余計にそう思えてくる) 、合宿であるとのことで、二人も頑張っているようですね。
でもくりすはかおこゆに向けてなぜか芝居まで打ってるし、やっぱりマイペースだなあと感じるばかり。出かけ間際に通りすがっただけで泣くとか器用な……

くりすと美姫が二人でまんがを描いているその一方で、そんな美姫の姿にも影響されまんが家として復帰した寮母さんは、編沢さんと虹野先生をアシスタントに三人でまんがを描いている様子……いや描いてない。こっちもマイペースだこと。
さておき、寮母さんが商業でまた執筆を始めたのなら、二人 (とりわけファン側の活動に終始していた虹野先生) にも何かしら執筆そのものに関わる行動が見えるのかな、と自分自身想像してもいたりしました。形は違ったものの、「大人のこみっくがーるず」としての姿が見えて、これもまた万感。

あっ、あと忘れちゃいけないのがコマ外の編かお成分。編沢さんもすっかりかおす先生へ対面でべた褒めをするのが馴染みましたね。

「懐かし」の4人

4人、と書いていて改めて強調したくなったことですが、『こみっくがーるず』において始まりの4人が集まって生まれた感慨も、何だかんだ個々人がきちんとピックアップされてきた賜物だとやはり主張したくなるワケです。
ファンのみならずお母さんの懸念と嘱望にも真正面から応え、少年まんがで1つの高みへと至ったV先生。
最もまんがについての言及がしづらかった妹からも尊敬を受け、誇りをもってまんがを描けるようになった姫子先生。
実生活でもまんがでも誰より友達との間柄を重んじ、それ以上の関係性へも踏み出せるまでになった小夢先生。
二歩下がって三歩進むことを繰り返しながら、胸を張って描きたいと思えるまんがを見出したかおす先生。
抱えていた問題を、時に己の壁として向き合い、時には差し出された手を借りて向き合い、そうしてここまで来たから、これからも一緒にいたいと感じて涙するその姿に込み上げてくるものがある。

とりわけ小夢先生について、ジャンル上「まんがと人間模様が不可分である」と予々指摘してきましたが、最後の最後でタイトルを回収しかけた (ついアニメのほうも想起してしまうものですね) ワケなので、振り返ってみると作品全体に関しても同じことが言えそうです。
ボクの中で咀嚼に苦しんだ ”あの” 回を思い出しても、今なら笑い飛ばせるかもしれないなあ。
……閑話休題、幕引きとしては、そんな小夢ちゃんがルームメイトでもあったゆえに、かおす先生もその影響を最も強く受けての締め括りとなった気がしています。
4人で始まり4人で終わる物語の、幕開けの舞台も幕引きの舞台も、同じ文芳社女子まんが寮である。なればこそ感動が安心感の後からやってくる、あたたかいエピソードだったように感じるところ。

とは言え、「これで終わり!」とは全く思わせないのも確かで。
まんが作品としてはひとまずの区切りであるものの、様々なベクトルで原点回帰の意味合いが強かっただけに、みんなの活躍はまだまだ続いていくのだと俯瞰してもいます。
ボク自身、いつもこういう作品は決してタイトルに「最終話」や「最終回」などの文字を入れないで記事を書いています。まだまだ続きを読みたくもあり、それでいて同時にこの幕引きを受け入れてもいるパターン。だから、紛れもなく良い意味です。

115話より

ボクは、↑のページがこのエピソードを総括してくれるものだと思っています。
実際どう受け止めて咀嚼するかは、まさに読者次第と言ったところでしょう。

半年という期間

かおす先生がまんが家として大成した前後のエピソードを想像する (したことのある) 方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
ボク自身そういう2次創作を描いたこともあれば、他の方の2次創作に触れたこともあります。

それを思ったら、区切りのエピソードで描かれたのが半年先って、本当に絶妙だなあと。
環境的に変わることは種々ありつつ、人物として変わるには非常に短い期間。寮生で最たる売れっ子であろうV先生ですらアニメ2期が決まった頃合いのようですし (それにしたって速い2期決定ではという雑感もありますが) 、まんが家として、人として、114話から変わっているところはほとんどないハズ。
想像に委ねられた部分は、読者が補えば良い。本作はそれに足るまんがです。ボクも引き続き、何か書きたくなった時は2次創作を投稿するつもり。
それもまた、作品を好きでい続け、語り続けていく1つの手段なのですから。

終わりに

奇しくも3ヶ月前、親しくしているまんが仲間から「今のこみがどう思うよ?」みたいな話を振られて、ボクも「『こみっくがーるず』の魅力・らしさって何だろう」とぼんやり考えたまま時間が経過していたのでした。
それから今に至っても、自分の中では「これだ!」と一言で述べられるほど具体的にならなかったので、せめてこの長文を最後までご覧くださった方には伝わるよう、配慮と工夫で以て文章にまとめてみました。
我々は考えねばならない。ボクはファンとしてこれからも考えていきたい。単行本はもちろん、ボク自身通常あまり買うほうではない画集もこみがならば欲しいと感じ続けて今日を迎えられましたので、ひとまずその2つも待ちながら、今回はこの辺りで筆を置こうと思います。

Written on February 17, 2023