あの日、ボクは雄叫びを上げた:5巻が出た今だからこそ『こみっくがーるず』原作58話回顧録+

2018年7月19日。
あの日購入したまんがタイムきららMAXを開いて、とある作品を「アニメ終わったなー」とぼんやり読み進めていっただけのハズが、いつの間にやらそこは深い深い沼。

何を隠そう、『こみっくがーるず』に陥落した瞬間でした

原作で初めてしっかりと読んだ回は45話、アニメ化決定の報と共に巻頭カラーで掲載された、かおみきアイドルライブ参戦回。
脚フェチの身として、かおすの着眼点に共感したのが最初だったと記憶しています。
それから本腰を入れて原作を読み返したのがアニメ放送開始直前。
あの頃はまだ、かおす先生の本名までかおすだと勘違いしていた時期。
いざ始まったアニメを目の当たりにすれば「かおす先生大丈夫か……」と呟く傍ら、同時期の原作55話を読んでは「これまたすげーキャラ(くりす)が出てきた……」と疲弊。
アニメも大人組がピックアップされた8話を視聴して、そのまま最終話まで視聴して、暫定的に固まった印象は「かわいくて楽しくて面白くてちょっとホロリとする作品」。
これ、意地の悪い言い方をすれば、当時は刺さる作品ではなかったのも事実なんですね。
アニメ化が順当な作品だとはその時点でも思いつつ、自分がずっと入れ込んで楽しめるかとなると話はまた別だったりして。
(これに関しては既にアニメ化していた作品なんかも同様で、読んでこそいたものの識者ほどかと聞かれたら決してそうではなく。あの時期以降のMAXで元々一番の目的だったのは、こみが5巻と同日に3巻発売を迎えた『ななかさん』)
何より、主人公であるかおすの傍観癖がギャグとしては有効に機能していた一方、自分に刺さるかどうかで言えば芳しくない方向に作用していたのが大きかったのでした。

今思い返すと懐かしいもんだ。

Q. じゃあなんでこみがにハマったの?

A. あの日、こみががあまりにも大きく動いたから。

というワケで、58話の回顧録に参……る前に。

57話までのおさらい

(まとめてみたけど意味あんのか……?アニメ見てこれ読む人とかいるのかな)

新たな寮生を迎えつつまんが執筆に明け暮れる日々の中、小夢先生が連載決定と同時に担当替えを知らされることに。
これまで共に歩んできて敬語が抜けるほど親しくもなれた編集さんと離れることになり、落ち込んで涙する小夢。
ルームメイトのかおすや同じく担当替えを経験済みの翼を始めとした寮生たちに励まされて迎えた引き継ぎ当日、小夢は心細さのあまり着いてきてもらったかおすと共に新しい編集さんと初対面します。
次の編集さんに自身の持ち味も伝わり、小夢は前の編集さんとも悔いなく別れることができた一方で、いつか担当が変わる可能性はかおすの内心にも爪痕を残すことになってしまい……?

……そういった感じで、ここに来てまんが家と担当編集の繋がりにフォーカスした流れだったんですね。

58話 #1 (読者視点で)完成度が高すぎたネーム

夢でさえ担当替えの憂き目に合い、編沢さんの存在の大きさを噛み締めたかおす先生が書いたネームのタイトルは「別れ」。気が早い。
主人公がひたすら「あの人」がいなくなったことを嘆き、その人はああだったこうだったと呟きながらかおす先生節の奇行に走るモノです。
主人公=かおす、「あの人」=編沢さんであることは明白なこのネーム、編沢さんの愛の鞭をそのまま描いてしまったかおす先生の技術にクスッとくる場面ではあります。

CP視点でなければ、の話ですが。

かおす先生はこれが編沢さんの良さだと思っている

あの厳しさが愛の鞭であることをしっかりと認識している

編沢さんも何も知らずにあれを読んだ、つまり自分を客観視したワケです。そりゃ「やなやつすぎ」とか言っちゃう。
しかし我々は、それが編沢さんの不器用な優しさであることを知っています。
同時に、その後のやり取りでも分かるようにかおす先生にとっても編沢さんは「いてほしい」大きな存在で
そしてこのページ(5巻で言えばP55)、ネームを読んでもらってボツ通告を受けたかおす先生が思い詰めて取った行動が、またギャグとして上手にオチているのがズルいんだ。

58話 #2 愛の鞭には折れずとも、ネガティブなことに変わりはなく

一段落して、編沢さんに寮に後輩が入ってどう思っているかを聞かれます。
しかしかおす先生は「(くりすと美姫が)どんな風に絆を深めていくのか楽しみ」「(同じきらら作家である)美姫ちゃんすごく頑張ってるんです」「姉妹いいですねえ」と珍回答。
心優しく穏やかなのは素敵なことだけども、流石の編沢さんも編集として「後輩に連載先越されたらどうする」といった風に強く出ざるを得ず。
かおす先生は突き放すような言葉を受けて帰途に着くこととなります。

「編沢さんをがっかりさせることしかできません」「きっと担当かわりたいって思ってます……!」と寮で泣きに泣くかおす先生。
そこに救いの言葉をかけたのは、寮母さんでした。
この言葉、既に読んでいる方なら絶対にグッときたと思います。
ご覧になっていない方。万一いらっしゃったとしたら、ぜひ原作を追い掛けてみてください。
ここには書きませんが、たとえ物語を作る方でなくても心を動かされるハズです。作り手ならば況んや。

プロの人はどう感じたんだろうなあ。

58話 #3 「カレンダーに記念日として書かないと」

一方の編沢さんも、溜息をついて苦悩していました。
作家ではないにしろ編集も作り手側の立場ですから、本人の感性は重要な問題で。
この58話に心を打たれた場面はいくつもありますが、個人的に一番クリーンヒットした痛切な場面はここでした。
作中最初の飲み回や5巻書き下ろしでも分かる通り、編沢さんの感性って割とアレですし……

それでも、編沢さんにも救いの言葉がもたらされます。

「連載したいです」。
編沢さんが担当のうちに絶対連載したい」。

ボクが『こみっくがーるず』に陥落した瞬間でした(2回目)。

今ひとつ我にも乏しく、深刻さを欠いていたかおす先生がついに「連載したい」と宣言。
「編沢さんが担当のうちに」なのが更にダメ押し。
かおす先生から編沢さんへの思いが、本当によく現れていると思います。
当の編沢さんはパニックになりつつ、自身よりもパニックになったかおす先生を落ち着かせますが、読んでるボクは既にキャパオーバー。

書いててまた涙腺が。

59話からその先へ

この後かおす先生は、自分の長所を見つけ、2人に分裂し、技術を更に磨き、猫になりかけました。
編沢さんは編集である自身の存在意義を再確認し、かおす先生を導いて、更に信頼を得ていくことになりました。

そして……「かおす先生が連載!?」(5巻帯より)

あ、ちなみに前項の題「カレンダーに記念日として書かないと」は、59話にてかおす先生の母・はる子さんが連載したい宣言について後々聞いた際の驚きの声です。
そのお気持、割と分かる

終わりに:編沢さんが繊細だった話とか

作者・はんざわかおり先生からも「描いてて心配」と言われる編沢さん。
書き下ろしで明かされたのは、編沢さんの「絵も話も二度と否定されたくない……!!」という叫びでした。
特に虹野先生について事前に的外れな予想をしてしまった身ですが、性懲りもなく色々考察がしたくなるし、その甲斐も大いにあるモノだと感じます。
これに関しては、ここではなく今後の2次創作で形にしたい。これでも作り手の端くれだから。

そしてこの一幕が単なる回想ではなく、かおす先生と話をしている中でのフラッシュバックなのがまた含蓄豊かなんですよね。
もちろん編かお視点でもそうですけど、これは純粋に「編沢まゆ」という人物の心理を窺えもする意味で。

にしても、満を持しての編かお表紙や大人組の書き下ろしはもとより、口絵の高校生編沢さん見惚れるなーとか、誕生日一覧とか、どこまでも微笑ましいくりみきとか、かおす先生の替え玉(博多ver.)とか、編沢さんの「げす」な誤字とか、あすか先輩の匂いを嗅ぎ分けるフーラ先輩とか、恐ろしいまでに濃密な5巻でした。
もうじき翼の誕生日でもあるし、色々書きたいモノが重なっていく……

Written on April 26, 2019