男体化と女体化を踏まえて見る「物語のシミュレータ性」
ブログを初めた当初、1ヶ月に1度は何か記事を書けたらいいなーと思ってたんですが、8ヶ月目にしてその目標の達成に失敗しました。
というワケで、今回の記事の本題です。
ここは思考と嗜好の雑多極まる僻地
ブログを初めた当初、1ヶ月に1度は何か記事を書けたらいいなーと思ってたんですが、8ヶ月目にしてその目標の達成に失敗しました。
というワケで、今回の記事の本題です。
「物事を見る上では、なるべく多くの視点を持って客観的に捉えよう」。
ボクは創作に限らず、こういう考え方を常に意識しています。
これは偏に、どんな見方にも寛容でありたいという意志に基づいているんですが、だからといって実際には全ての見方を許容できているワケではないのも事実で。
クリエイターって、薄命なんじゃないかって。
生すら得ていない物に自分の命を削って与えるから、自分の望みを原動力にして自分の作りたい物を作る人は生命力が希薄なんじゃないかって。
そんなことを考えてしまった。
当記事をご覧の方の中に、当方が人1倍理屈好きであることをご存じの方は多いかと思います。
そのことと、物事を数学的に捉える傾向がどうしても強いことはそう無関係でもないと考えていまして。
ボク自身は基本的に考えることが大好きなせいか、創作物に対しては(仮に好き嫌いのような感情で楽しめなくても)その感情に至った経緯・原因を考えることで楽しんでいる節がある。
で、それがなぜか時としてボク自身の創作に繋がっている面もある。