言うまでもないコトと、言葉にして言うコト:『しょうこセンセイ!』26話
みんなしょうこセンセイのことが大好き。
それはもう、言うまでもないコト。
……正直ここまで綺麗で素敵な回にあれこれ言うのも無粋な気がしてきますね。
まあそれじゃ感想になりませんので今回もつらつらと書いていきます。これ以上に続く雑導入なんてほっぽり出して早速行ってみましょう。
『しょうこセンセイ!』26話。
子供組に相談してみるしょうこセンセイ
生徒との距離感について考え込んでしまい、ローゼス姐さんから助言をもらったしょうこセンセイが、自発的に助言を請うた最初の相手は小夜ちゃんと奈央ちゃん。
一瞬驚きはしたものの、18話を思い返すと2人からも先生に必要なことを学んでましたね。物の教え方。
先生の立場にある上でも2人の存在は重要になっていました。その点で前フリはバッチリ。
加えて(ちょっと一般論も混じってきますが)、子供って良くも悪くも歯に衣着せぬ物言いをしがちなことを考えれば、ズバッと本質を突いてもらうために、この判断は案外合理的な選択とも考えられます。
個人的な嗜好としても、思い悩む人の道標を幼い子たちが作ってくれる展開はツボ。
「皆大好き翔子先生」「生徒大好き翔子先生」
皆を見守り愛するしょうこセンセイ、皆から見守られて愛されるしょうこセンセイ。
井伊校長が触れた通り、しょうこセンセイは非常に熱心に生徒たちと向き合ってきました。
そして生徒たちもまた、各々の方向性と形でしょうこセンセイに思いを寄せています。
これまでの『しょうこセンセイ!』の物語で丁寧に描かれてきたその姿、生徒たちとの打ち解け具合は言うまでもなく校長先生も読者も知るところ。
登場人物が思いのままに動き回り、読者はそれをただ観測して癒される物語でありながら、それらはしょうこセンセイにとって成長の一要因であり、今回のように折に触れてしょうこセンセイのステップアップを描きこちらにもカタルシスを与えてくる。
2巻ラストに当たる(と思われる)エピソードとして、手堅い区切りのつけ方です。
もう少し突っ込んだ話をすると、しょうこセンセイが先生らしい在り方を誰よりも熟慮し模索するのは、1話にまで遡れるテーマの1つでした。
当初は真っ当に先生として扱われない一幕に出会した苦い経験もあるからこそ、今回のエピソードは一区切りに相応しいと言えるでしょう。
そんなしょうこセンセイが辿り着いた結論については後述。
生徒たちに「告白」するしょうこセンセイ
25話かけて描かれてきた生徒たちと互いを思い合う姿は、しょうこセンセイだからこそ可能な距離感が見出され、生徒たちもそれに応える形で結実しました。
今までの総決算と言える、生徒たちからの言葉。
これこそボクみたいな一読者が敢えて色々言うまでもない、読んで感じるべき場面……だとは思うんですが。
それを考慮した上でやっぱり触れておきたい生徒が2人いまして……
1人は矢野さん。
言うまでもなくネタ枠しょうこセンセイへの愛が重い勢筆頭です。
こういうタイプがギャグに収まらない役割をきちんともっているのも、登場人物の丁寧な描写に長けた『しょうこセンセイ!』の魅力の1つ。改めてそう思います。
まあギャグ的に見ればオチを作った立場でもあるんですが(「ティッシュの準備」で腹抱えた)、前回に続きオイシイ役どころを貰えてますね。矢野さんの言葉には人一倍説得力あるわ。
そしてもう1人は加藤さん。
彼女が以前疑問を呈した「友情」は、今回もしっかり重要な意味をもっていました。
曰く、ずっと「ローゼスに助けてもらってた」しょうこセンセイ
物語全体に流れるあたたかい空気感を俯瞰する視点が24話にあった分だけ、説得力が上乗せされた友情の描写。
しょうこセンセイと旧知の仲であり、家族ぐるみでの付き合いをも匂わせ、継子さんが海外にいる今最も近しい存在であるローゼス姐さんは、しょうこセンセイとの友情が申し分ないほど丹念に描かれていると言えます。
そんなローゼス姐さん、嘗ての学舎で一人席に着いていたしょうこセンセイの背中を遠目に、何を思っていたのでしょう。
二人の出会いに触れられることは今回もありませんでしたが、そこに大きな意味があったのは言うまでもなく察せられます。
P27「ローゼスの願い」やP29「トモダチ」、ここに秘められた思いにも言葉はいらない。
それにしても、今回のエピソードを読んでるとローゼス姐さんの奔放な振る舞いは全て狙ってなされている気がします。
もしこの憶測が正しいとすれば、それはきっと最初から、一人の殻に閉じ込もりがちだったしょうこセンセイの視野を強引に広げさせる姐さんなりの一策なのかも。ギャグとしてですが、16話とかでそういう行動を見せてましたし。
そしてどちらにせよ、しょっちゅう周りに気を散らすローゼス姐さんが、時として周りに目を向けなくなるしょうこセンセイの支えになり続けている好対照な2人の親密さは実に鮮やか。ぴったりハマるデコボコぶりだ。
またゾーン時のような視野の狭さと言い、しょうこセンセイの短所をギャグとしてだけでなく真面目な方向でも描き切っていて本当に上手い。姐さんが支えになってくれていたと今回初めて気づいたのも、しょうこセンセイのそういう側面としっかり通じてますね。
こういったリアリティを外さない一貫性が、『しょうこセンセイ!』という作品をどっしり安定させてもいるのだと感じ入ります。
いやはや、しょうこセンセイが今回ローゼス姐さんへ感謝を口にしてますが、ボクからも2人に言いたい。ありがとう。
「私がなりたいしょうこセンセイ」
それにしても、P29「しょうこセンセイ」を見ていると、しょうこセンセイは本当に年齢不相応な速度で成長してるな……と思わされること頻り。
一周回ってちょっと切なささえ過るくらいに。天才なのに、とも言えれば、天才だからこそ、とも言えそうで。
一番の拠り所たり得る母の継子さんとも、今は離れ離れ。いくらローゼス姐さんがいようと、それだけで並の子供が越えていける心の穴じゃない。
……いつの間にか再び一般論っぽい話になってしまいましたがこれもまた、大人とも子供とも一概に区分できないしょうこセンセイの特異性と言えましょう。
閑話休題。
結論としてしょうこセンセイは、しょうこセンセイだからこそ歩んでいける道程で、五千万歩のうちの一歩一歩を重ねていくと決意しました。
継子さんの残した言霊がしっかり生きて、活きているんだなと感慨深くなります。
同時に、前回の時点で感想として触れていた通り、やはり「自然体」もキーワードだったと言えるのではないでしょうか。前回先生陣でやり取りを交わしたのがあまり上下関係を感じさせない素のままの余市先生と凄まじくフランクなローゼス姐さんだったのも、大いに有意義だったと思えます。山田先生は生徒との間柄を厳格にしているテンプレな先生に近いタイプですし(、かと言って宮城先生は人気の現れ方に限れば先生っぽさがまるでなかったタイプですし)、この一件ばかりは人選がモノを言うことになったでしょう。山田先生がそこに居合わせたら良くも悪くもまた違った展開になってそう。
というかそもそも(横柄な言い方になってしまいますが)考えてみれば、余市先生はおろか母であり破天荒だった継子さんを差し置き、先生としては最もイレギュラーの塊なのがしょうこセンセイですからね。
翻ってしょうこセンセイは、だからこそ誰よりも独自性の高い道を歩いて理想の先生になるであろう存在なワケです。その理想はローゼス姐さんのように孤独から最も縁遠い賑やかさの人物が寄り添ってこそ、より現実味を帯びてくるモノ。
そして13話に続き、今回も再びタイトルを回収していきました。
こういうサプライズがあるゆえに、これからも敬意を込めて「しょうこセンセイ」と呼び続けていきたくなりますね。ありがとう。
次の試練(?)が待ち受けるしょうこセンセイ
自分の進む道を見定めたしょうこセンセイに立ちはだかるは、ローゼス姐さんと同じくしょうこセンセイにとっても旧友である様子のグレン・リベットなる人物。
継子さんにまで小気味良い軽口を叩き合える、家族ぐるみでの深い関係性も姐さんと同様ですか。2人の横に並び立つ人物として、しょうこセンセイの先生ぶりを試す人物として、ローゼス姐さんたちと同じお酒絡みの名前をもつ人物として、どういう存在なのか注目です。