こじれた思いを上向かせるのは、強かさとそして胆力:『旅する海とアトリエ』18話

年甲斐なく号泣する女性、創作物においてはやっぱり大好き。

18話より

いやあ、今回のアンナ女史の表情はとても味わい深いものだ。

前回の感想でも書いた通り、アンナ女史本来の姿はやはりこういった感情的な一面のほうなのでしょう。

ただ、吐露されている感情が割にごちゃごちゃしているので、一つ一つ紐解いていく必要はありそうです。
渦中の人物であるナタリアも15話で語っていますし。

「女ってのは……いや人間ってのは至極複雑な生き物だからね」

こじれていた思いを吐き出すアンナ・シュナイダー

さて、先に結論から言ってしまいます。
アンナ女史の抱える問題の本質は、現時点で既出の情報を総合するにナタリアへの劣等感が招いた誤解なのではないしょうか。

まず、アンナ女史本人が自身について語る18話序盤の流れに沿って説明を

アンナ女史は音楽活動について「実力が飛び抜けていたわけじゃない」が「それで満足だった」、他方で自身から見たナタリアはそうではないと述べています。

「ナタリアのピアノと演奏するのは楽しかったし ちやほやされるのも嬉しくて 向上心なんてこれっぽっちもなかったの でもナタリアは違ったみたい」

ナタリアは「ウィーンから出よう 二人で」と提案していたようです。現時点で一連の文脈までは読者側に明かされておらず、今後覆るケースもあり得るでしょうが、そもそもここが誤解である可能性は充分に考えられます。
と言うのも、「違ったみたい」と推論が混じった表現で語られていますし、提案に対して本来は感情的になりがちな性格であるアンナ女史本人が実際感情に飲まれた解釈をしてしまった説も成り立ち得るからです。

続いて語られたのは、ナタリアの提案をアンナ女史が断るに至った心境でした。

「ナタリアはともかくあたしは上手じゃないから ウィーンの外で父の名前のない私なんて 足手まといになると思って断ったの」

これはナタリアを思っての行動ではあるものの、アンナ女史の中に「ナタリア>アンナ」の図式ができているのも窺えます。
ナタリアへの劣等感ですね。
アンナ女史を飲み込んでいる感情に仲の良かったナタリアへの劣等感が含まれていたとあっては、冷静さを欠いた判断をしてしまうのも無理からぬことでしょう。

結果として「ナタリアはあたしを置いて一人で行っちゃった」ワケです。この「置いて」いったとされる点もやはり誤解だと見るべきでしょうが、これに関しては17話でアンナ女史自身が内心苛立ちを露にしていました。

(素っ気ないのはどっちよ 急にウィーンの外に出たいってカッコつけちゃってさ あたしのバイオリンと演奏するのが好きって言ってたくせに もう超イラつく ナタリアのばかばかばかばか!!)

個人的に、この部分がアンナ女史の問題を複雑化させたと思えてなりません。ここに気を取られると「あれ、アンナ女史ってそもそもナタリアには怒りの感情をもってるんじゃなかったっけ?」と躓きます。(読解力がなく早合点しがちなボクが躓いただけです)

でも、もっと別の苦しみがある。
次いでアンナ女史が吐き出した思いは、怒りや苛立ちとは大きく異なります。

「ナタリアは本当に上手だから あたしがいないほうがきっと上手く行くと思って (中略) なのにあたし 戻ってきてほしいって でもそれを言って断られるのが 怖くて怖くてたまらないの」

ここから読み解けるのは、アンナ女史の劣等感がナタリアから捨てられる恐怖に結びついていることです。

次はアンナ女史以外の登場人物による見解を

最初に大前提として、15話におけるナタリアの言葉から。

「まだぼくが自分(アンナ)のことを捨てたと思ってるんだな」

この時点で、アンナ女史が何か大きな勘違いをしているのは匂わされています。

加えて海さんの印象。

「(前略) ぐずぐず悩んでるなんてアンナさんらしくないです わたしが好きなアンナさんは もう一回あたしと組みなさいよバカ! くらい言ってるはずでしゅ!」

「アンナさん 初めて会った時から自分にいらいらして 助けて欲しそうにしてたから」

前者は、アンナ女史が劣等感や恐怖に屈するような人物ではないだろうと飛ばされた檄。ボクはこの点をもって、劣等感のメインストリームが恐怖に派生しているのだと推論しています。
後者が扱いに困る難しいところで、先に言及された苛立ちの矛先はナタリアにあったハズなんですよね。この指摘を採用する場合、アンナ女史の感情は苛立ちのカテゴリではなく、その矛先によるカテゴリとして括るのが適切だと思われます。

これらを踏まえてアンナ女史の心理に流れを見出すとするなら

以下のようになるでしょうか。

  1. 「ナタリアのピアノはウィーンの外でも通用するが自分のバイオリンはそうではない」という、ナタリアへの劣等感がアンナ女史にはある
  2. ナタリアが「ウィーンから出よう」と誘ったことでアンナ女史は「ナタリアはウィーンでの自分たちに満足していない」と誤解する
  3. アンナ女史はナタリアの誘いを断り、結果ナタリアは一人で出国。その事実により「自分はナタリアに捨てられた」と更に誤解する
    1. 劣等感が誤解により派生。ナタリアに戻ってきてほしいと思っているが、もし懇願しても拒絶されたらと恐怖により何もできずにいる (本流?)
      1. 劣等感が恐怖により更に派生。何もできない自分に苛立ちを募らせる
    2. 劣等感が誤解により派生。一緒に演奏するのが好きと嘗て言っておきながら自分の側を離れたナタリアに苛立ちを募らせる (傍流?)

……マジで長くなってしまった。
無論ここまで書いておいて、「実は全然別の原因があったのでしたーケラケラケラ……」となってもさほど不思議はありません。劣等感に関して疑う余地はないにしても、それが本当に誤解へと繋がっている確たる根拠を示せた気はあまりしないので。

改めてボクの読解力のなさを痛感します。
ここおかしいだろ!と思った方は遠慮なくご指摘ください。

旅人の強かさを垣間見せる安藤りえと、旅人の胆力を垣間見せる七瀬海

口実という建前で自分たちの旅路を利用し、縁のできたアンナさんについていくと言うりえちゃん。機転が利きますね。こういう強かさも、異郷を渡り歩くのに役立つ特性なのでしょう。
しかしりえちゃん、ここで確執のある家族からコンタクトか……今後の展開がどうなるか(作中視点ではなく読者視点で)ちょっと気にかかる。

一方の海さん、弱音を吐く相手にアルコール任せの条件つきとは言え、一度捻じ伏せられた(語弊)アンナ女史を胆力で説得しにかかりました。これも異郷を渡り歩くのに役立つ特性。「行きずりのお友達」とかいう無茶苦茶なフレーズと言い、交流のできた相手に対しては非常に強い。
そんな海さん周りは、今回もかなり重要な暗示が感じられました。ぶっちゃけこっちのほうがよっぽど文量を割くべきな気がします。
これまで散々書いてきた通り、海さんは相手本来の姿を重要視し、見抜いて受け止めようとする洞察力や包容力があります。
しかし、今回酒を抜きにしてもアンナ女史を圧倒する勢いがあったのは、ボクが思うにそれだけではない。

1つは「行っちゃったんなら(ナタリアを)追いかければいいんですよ!」。
ボクが18話で一番唸ったポイントはここです。ここまで言うとは海さん流石。
両親亡き事実を踏まえるだけでこの言葉はずしりと重くなるんですよね。
同時に海さんの両親が頭を過ったせいで「追いかける」の意味合いを邪推してしまい、それこそちょっと怖くもなったり(ただの考えすぎ)。

もう1つはアンナ女史が「助けて欲しそうにしてた」と感づく目敏さ。
これ、元来洞察力が高いのもあるとは思いますが、何で今更りえちゃんが疑問を呈していたのかが気にかかりました。
作中視点ではここで扱う意味もあまり感じられない問いではあったものの、これを踏まえて洞察力とまた別の観点を見出してみたい。
今回アンナ女史が吐露した中で重要な位置を占めていた感情に、先の通り劣等感があります。
12話を思い返すと、海さんも旅を通じて「誰かを笑顔にできるものが自分には何もない」んじゃないかと悩み出していました。りえちゃんやエマさん、マリアさんが比較対象にいたので、これも劣等感に分類できるでしょう。
で、海さんには感受性の高さという美徳もあります。つまりアンナ女史の劣等感を見抜いた段で強いシンパシーを感じていたのではないか。こんな説も一つ。

最後に、海さんが心の奥底で抱えていると勘繰る闇について。

「(翌日アンナ女史が空港まで)来なかったらネットに晒します!」

地味にエグい。ネットにも情報が氾濫してるような著名人に対してこの脅しですよ。
りえちゃんの問題はきっちり進行していっているのと対照的に、海さんのこういう面に関係した新しい情報が未だに出てこないってやばくないか……いつか大爆発するのでは……???

まあ、これにしたって「何ギャグを深読みしてるんですかプークスクス」で終わっても別に問題はないと感じています。ただ、作中の人物にも「怖い」と感じられる一面が継続的に出てきてるのは事実だからつい、なあ……

Written on February 19, 2020