理解欲と共感欲:気づけば趣味の道の先にいた『SHIROBAKO』安藤つばきの話

当エントリは SHIROBAKO Advent Calendar 2019 13日目の記事になります。2016年に存在を知ってから毎年末の楽しみになったAdC、いざ参加する側に回ってみると何だか肩に心地良く力が入ってくる気分。

ADVENTARから跳んできた、という方に自己紹介から。
「とーます・らむだきー」と申します。だいたい「とーます」と呼ばれてます。
この名前を名乗る場面では不用意に実生活の話をしすぎないように心がけています。
趣味の1つとして、気が向いた時に小説を書きます。2次創作が多いですが時々1次創作もやったり。
実は昨年も「お邪魔していいものなのかな……空いてたら書いてみようかな……」と考えていました。気づいた時にはもう遅く、既に枠もなかったのですが。毎年AdCにも多くのファンの方々が集うSHIROBAKOってやっぱりスゲーな、とちょっと圧倒されたくらいでした。
そんなこんなありながらも参加に至った今年。最初はTOKYO MXでなされているという再放送の時間に合わせて該当話を再視聴しながらそれについて筆を取ろうとしたものの、どうやら12日放送分は最終話だったようで……
13日いっぱいまでの短時間で最終話に関してまとめていたら万策尽きると判断した(回が回だけに、指針なく書いていこうとしても間違いなく収拾がつかなくなるのと、リアタイからもうじき5年経つ今でも感極まってしばらく言語化が滞るのを容易に想像できる)ため、別のことを書く方針に切り替えてしまいました。

じゃあ長い前置きして結局何書くの? って話なんですが。
本編終了以降もそれほどの熱量を誇り、ボク自身今でも度々見返しては日々を過ごすためのエネルギーや方策を得たり新たな発見をしたりと、とても大事な作品になっているSHIROBAKO。
その中にはやはり、自分や周囲が自然と変化していくに従い「リアタイしてた時は素通りしてたけど、今じゃ絶対スルーなんてあり得ねえ」と思うようになった台詞がいくつもあります。
今回は、そのうち今の趣味に関わるモノについて。

「2次創作って、作品に対する理解とキャラに対する共感のカタマリですからね」

20話。
なぜアニメを作るのかという命題に対して「好きだから」と答えた安藤つばきが、高梨太郎に「BLが好きってだけだろ?」と茶化されて切り返した言葉(この後すかさず「制作に必要なスキルだと思います」と続く辺りはある意味、色々軽いところもある高梨を初登場回である11話で既に一蹴できる知見や芯の持ち主だと感じ入ります)。
その感銘はいかばかりかと言えば、2015年3月以前まで遡ると2次創作はおろか小説執筆自体やっていなかったボクが、今この台詞を聞くと「安藤さんスゲーな……」とつい頭を垂れるほど。

20話より

放送終了後の夏に2次創作を始めて今年で4年を回った今となっても、実際好きな作品のことって結構分からなくなるんです。どんな作品でもそうなるワケではありませんが、ボクの場合そういうタイプの作品が存在します。
そんな分からなさがボク自身にとってはその作品の2次創作をやる動機であり、そして最大の原動力でもあるものの、時には「趣味でやってるのになんでこんな苦しんでんだかなー……」と我に返ったように頭を抱えるハメになります(いやまあ、何だってやる時は真剣にやるのが信条ですが)。
この作品の一番のテーマは何か。登場人物が根本的にはどんな性格でこういう時どうするのか。突き詰めようとしたところでこれと言った正解が見えず壁に衝突してしまうこともよくあります。
原典に根拠となる描写が存在し、そこから筋道立てて導出できる限り、解釈や考察には多様性が許されて然るべきであり、それらを包括することで原典の本質に近づけるのだ、というスタンスの元で2次創作をやっていても、です(あるいはだからこそとも言えそう)。
木も森も確と見つめるための策が2次創作においてはそういう手段になるにも拘わらず、解釈の折り合いをつけるのが難しいケースもありますし、下手をすれば「お前は原典のどこをどう読んでそう感じたんだ…‥自分には分からん……」と小一時間くらい問い詰めて説明を求めたくなるような解釈が飛び出てくる場合すらあります。
どうしたって分からなくなる時は分からなくなるもののようです。

今年は2次創作やそれをする自分自身、そして原典のみならず原作者と向き合うまでになり、それに多大な時間を要した年だったおかげで、先の台詞をかなり頻繁に思い出しました。
そんなボク自身は今もせいぜい「理解 “欲” と共感 “欲” のカタマリ」と評するのが関の山なんじゃないかと考えていて、自己評価までそれに準じている状態です。
なもんで、「伊達に高校時代から同人制作をやってないんだな」と、2次創作者としては今のボクよりもまだ先にいる安藤つばきという人物の奥行を今ではより強く感じるようになりました。

SHIROBAKOにおける2次創作の位置付け

ここまで安藤つばきをピックアップして書いてきましたが、作中で2次創作やってそうな人は他にもいました。
『えくそだすっ!』最終話の原画を頼めるアニメーターを探して奔走していたおいちゃんが11話Aパートのラストでコンタクトを取り、それに対して「同人誌の原稿の後で3カットくらいなら」と快諾した男性アニメーター。
未だにそういう趣味を全くと言って良いほど実生活で(例え趣味が似通っている相手に対しても)明かしていないボクとしては、クリエイター職ですら公言してもさほど問題視されないのかなーと多少のカルチャーギャップも感じずにはいられません……
まあ、彼の場合は細かい言及がないので1次創作で描いている線もあります。安藤にしても、本質的にはひっそりやるのが理想的であろう2次創作の話題を、武蔵野アニメーションでは気後れせず出していけるのだとも受け止められなくはないかもしれない。その辺、現実にも今では風潮的に同人との垣根が失われつつありますし。
諸々考慮すべき点があるのも承知の上で、でもやっぱり色々とスゲーなと。

まとめ切れなかったアレコレ

ちなみにボク自身がSHIROBAKOで特に好きなのはみーちゃんとナベPです。思考と嗜好は全くの別物なので。映画ではどんな活躍をするのか楽しみ。
一方で、綺麗にまとまった作品が続編をやるとなると結構不安でもあり、実は「あんまりそういうのやんないでほしかったな……」と思いもします。強いて言えば「場数を踏んだ同好会の5人が携わって作られた『七福神』を我々が見る、みたいな形で劇場版をやってくれたら感無量だろうな」とぼんやり想像してたくらい。
でもやるとなったことだし、公開日を迎えたらなるべく早く見に行くつもりです。

そんなことを書きながら19話以降を見返してきたんですが、20話での円さんvs.平岡の緊迫感溢れる喧嘩のシーンには未だにちょっと腕が粟立ちますね……(小さい頃から怒気が苦手)
堪らず21話より前にブックレットP31左の4コマを見て傷を癒しました。この平岡は優しいすら通り越して可愛い。

そして元々書くつもりだった最終話についてもちょっとだけ。
オンエアテープを各人任された局に持っていく一連のシークエンスの最中、上高地へ向かう興津さんと別れる時のナベPですよ。
あの「グッドラック!」みたいに言ってるようなジェスチャーが、興津さんにも負けず劣らず勝手知ったるって感じを醸し出しててめちゃくちゃカッコいいんですよね。
……と細々した好きポイントを〆に強調して、今回は筆を置かせていただきます。

Written on December 13, 2019