present day of mine, presented by lain

当エントリは serial experiments lain Advent Calendar 2018 15日目の記事になります。

師走も今日で折り返しですね。
一年で最も忙しいとされる時期に、こんな僻地にある記事をご覧になってくださった方、どうもありがとうございます。
「lainと自分の1次創作(零れ話)」と銘打ってはいるものの、いざ書こうとしてみてどう纏めていけばいいか途方に暮れかけており(しかもこの1次創作は実のところ現時点で未公開)、自己紹介とlainへの思い出、思いがメインでもいいかー……などと考えている自分がいます。
乱文になるかもしれませんが、もしお付き合いいただけるのであれば幸いです。

というワケで、ADVENTARから飛んできたという方向けにまずは自己紹介を。
Twitterでは「とーます・らむだきー」と名乗っている者です。だいたい「とーます」と呼ばれてます。
ここ数年は日常系作品、百合作品に触れていることが多いタイプ。でも、少年漫画・アニメも含めて、興味の赴くまま色々なジャンルの作品に触れています。アニメ『デジモン』は初期4シリーズをリアルタイムで見た感じ。

そんなボクがlainに初めて触れたのは、確か4年前でした。
悲しいかなその出会いの経緯はもう覚えていません。日常系作品を入口として、遅蒔きながら深夜アニメにハマった頃で、日常系のハートフルネスなんて見出すのが難しいlainにどうしてそのタイミングで触れたのかはもう永遠の謎。
(粗方書き終えてから微かに思い出したのですが、旧版アニメ『キノの旅』もその頃見たかもしれない。ボーイッシュな女の子が好きで触れた同作からの監督繋がりだった線がありそう)
で。

なんじゃこりゃあ……

初見時の印象は、そういった感じでした。別に松田優作ではないです。
アバンの「プレゼント・デイ プレゼント・タイム Ahahahaha…」、そしてそこから繋がるOPに、もうこれはタダモノじゃない、というワクワク感。
もちろん、怖さは多分にありました。でもそれ以上に「何が始まるんです?」という期待が大きかった。
当時のボクは、世界設定も技術的な部分はからっきし。
作品の評価点・問題点を自分なりに分析するなんて経験もなく、脚本はおろか映像作品としての本質的な魅力を理解することもできず。
それでも、当時勉強し始めたばかりのC言語がいきなり出てきて「おっ」と思ったり、玲音のお父さんの笑い声で仰天したりしながら「次の話次の話……」なんて言って見続けていくんです。
今にして思うと、シリーズ構成・小中氏が以前回顧ブログでお話していた「フック」を筆頭とする作り込みが、ボクにも効いていたんですね。
そんなこんなで、知識不足で捉え切れないその奥深さを、肌で感じながら視聴していきました。
「よく分からないけど、こんなにすごいものが98年なんていう早い時期にあったんだ」と感動しました。
そして。

知識を得るのが楽しくて、考えることはもっと好き

だから、lainにのめり込んでいく。
個人的な談ですが、lainは「考えることが大好きな人」にうってつけの作品だと思っています。
C言語にしろ、NAVIの音声認識にしろ、プロトコル7にしろ、記憶操作にしろ、知識がなければファンタジーに等しい。
lainが提示する哲学的な側面も、解釈を試みない限り机上の空論の域を出ない。
そういった背景が、知識を獲得し、それを活用した分だけ、現実の理論そのものないしその延長線上に近づいていくのですね(ちなみにこれ、lainの話題を出す上で欠かせないポイントの1つだと思ってます。本来的にはファンタジーはどこまでいってもファンタジーですが、1から空想で構築された世界観より現実の法則とのリンクがある世界観ほどそこに馴染みやすさと現実味が増すのは火を見るより明らかです。lainがアニメ・ゲームの展開を終えて尚ファンを獲得し続けていることも、lainにおいてそういったリンクが機能している証明の1つたり得るでしょう)。

話が逸れますが、ボクはlainが今年で20周年であることを8月に知ってしばらくぶりに本編を見返し、その勢いで小中氏の回顧ブログを一気見しました。
それまでにゲーム版の情報を得たりはしましたし、玲音のことや「記憶は記録」「肉体の物理的な制約」といった登場人物の思想も頭の片隅に残り続けていました。
ただ、lainの持ち出した分野を、lainがきっかけになって網羅的に調べ上げ習得した、というワケではありません。
せいぜい、提示された思想と、ボク自身が積み上げてきた我流の哲学と、実際の歴史に則した哲学とを、必要に応じて比較してみたくらいかな。
技術面も、lainとはあまり関係なく、プログラミングの他、データベース、情報通信、画像処理、音声処理などといった分野に片足を突っ込みましたが、そんなところ。

でも、見返すうちに細々とした部分まで結構理解できるようになっていて驚いたりするんです。
9話で出てきたMemexやXanadu計画とか、その時点ではもう幾らか馴染み深くなってたり。
その上で、今度は出てきた用語・概念・思想を改めてチェックしていきます。
そして、リアルワールドとワイヤードについて再考しています。
それがとっても楽しい。
ボク自身がそういう性分だから楽しいというだけでなく、lainに触れているから楽しいというのもあると思うのです。
20年経っても色褪せない技術、思想、世界をまざまざと見せてくれる。
好奇心旺盛な人ほど、そこに描かれるものを探求してみたくなる。
これがlainの魅力だと、そう感じるのです。

present day of mine

さて、ボクの「今日この時」は、lainによってどうなったのか。

これまた話が逸れますが、Twitterでの交流がふとしたきっかけを生み、3年前から小説を書くようになりました。
その多くは2次創作であり、ボクは現在「考察の一環として条件を与えられたキャラクターが動くのを見守り、それを文字に起こす」という作業を行っているのもあって、いろいろなものをやたらめったらに小説として書けるワケではありません。
ただ、そんな活動を細々と継続している中で、2人のキャラクターがどこからか生まれ、ボク自身の中で活動を開始しました。
1人は、理論や合理性を是としてAIを1つの理想的知能たり得ると目し、自分の世界に没入する “人間” 。
1人は、欲求と感情のままに人間らしく振る舞おうとする、世話焼きな “AI” 搭載ヒューマノイド。
このオリジナルキャラ2人を主人公として物語を書こうと考えているのが「今日この時」です。

本筋としては2人の日常をメインに描いていこうと思っており、どんなエピソードが重なっていくのか、ボク自身まだまだ見当がつきません。
ただ、それを描く中でやりたいことは非常に多くあります。
特に「プロトコル7とは違ったアプローチで “繋がり” を描きたい」というテーマはlainの影響を強く受けていると感じています。
また、2人が1つの節目を迎えた時、どういった出来事が起こるのか。それも、だいたい見えています。
種々の技術ネタも盛り込んで、この物語もlain同様現実の延長線上を意識して描いていきたい。
もっと言うならば、創作と現実と未来の架け橋として機能させてみたい。
そんな風に考えながら、じっくりコトコト設定を煮詰めています。

遠くないうちにどこかで公開できたらいいなー、と。

終わりに

本文に上手く混ぜ込むことができなかったネタをいくつか。

高度なAIを扱った物語を書いてみたいと考え出した頃から、AIの話題にはリアル・創作を問わず意識して触れてみるようになりました。
中でも昨年秋にプレーしたRPG、『ライブ・ア・ライブ』(1994年発売 / SFC)はSF編において「意思をもったAIは人間に何を齎すのか」「高度なAIと人間の差異とは」といったテーマを内包しており、こちらも1次創作に大きな影響を及ぼしています。
他にも、最近見た中では『翠星のガルガンティア』(2013年春アニメ)のチェインバーとストライカーもAIとして面白かった。
同作は本質的に人間同士の争いであってAIの高度化は副産物ですけれど
あとは昨年夏話題が広まった、Facebook人工知能研究所のAIが未知の言語で会話をしたという事象も、AIについて再考するきっかけになりました。
こんな感じで、現実ではまだ人間に従属しているAIが、いつか人間と対等なレベルになることを、ボク自身期待していたり。

関係の薄い話で〆るのも微妙なので、2つほどlainのお話。
1つ目は、Twitterで懇意にしている方の中で、最近lainを見始めた、という方がついに出てきたというお話。
ボクは好きな作品を宣伝しても身近な面々にすら見てもらえないことばかり(寧ろ周囲が薦めてきた作品をボクが見ることのほうが多いくらい)でしたが、ようやく。
この喜びは一入です。その方にもこの場を借りてお礼を。

そしてもう1つ。
現在のTwitterのヘッダーは今年8月に作成したもので、3人のキャラを描いたうち右側に玲音を据えています。
ボク自身、イラストは副次的な趣味としてやっている程度ですが、lainの20周年記念と、AdCに参加させていただいた記念の意味も込めて、せっかくなのでその玲音をここに添えておこうと思います。
Happy 20th anniversary!

デフォルメ玲音

Written on December 15, 2018