パーソナリティのバーチャライズは次なるフェーズへ:VTuberが表面化させたモノ

<2019年1月20日追記>
VTuberとしてのパーソナリティと地続きになっている「どうしてVTuberになったのか」という中の人としての側面を公開しているVTuberに期せずして触れました。
根底が間違っていることが分かったため、本エントリの妥当性はかなり低いと思われます。これから本エントリをご覧になる方がもしいらっしゃれば、その点にご注意ください。
ボク個人としても、VTuberはつまりそういう存在なんだと認識を改めておきます。
<追記ここまで>

2016年11月29日。
記事の導入に当たり、この日起きたことにまず触れておきたいと思います。

これは今を時めくVTuberの元祖(らしい)、自称人工知能が活動を開始した日1

名前はキズナアイ。
その登場が昨今のVTuberブームの先駆となったことは、最早言うまでもないですね。
彼女を始め、ミライアカリ、輝夜月、電脳少女シロ、バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさんなど、今ではYouTube外にあってもVTuberの話を見ない日はないくらいです。Twitterでもしょっちゅうファンアート見るし。

ちなみに、ほぼほぼVTuberに無縁なボクのTLにもVTuberの情報が当然のごとく流れ出すようになったのは、ちょうど昨年の12月だったと記憶しています。
調べた限り、VTuber四天王の5人(理解しかねる表記だ……)が出揃った時期2なんですね。

さて。
キズナアイの活動開始からだいたい2年。
前述の5人が集い、VTuber界隈が揺籃期から確立期へ移行してから(まあおそらく)1年。
VTuberたちは、今やYouTubeはおろか電脳空間からも出んとする勢いで活動の幅を広げています3

あれ、”Virtual” とは何ぞや?

こう、思ってしまうのですよ。
勘違いしないでいただきたいのは、何も別にVTuberが活動範囲を拡大させていくことが悪いとか、それに懸念を示しているとかではないのです。
単純にVTuberたちを傍観して、ふとこの疑問が頭を過るのですね。

これが意味するところの1つは、活動の垣根がどんどん無くなっていくことそのものに関して。
ジャンル確立の過程で”Virtual YouTuber”というカテゴリを与えられた彼等彼女等が実世界へと進出していく様は、保守的な思考をしている身としてはまだまだ奇異に知覚されて映るもの。
モニターやホログラムで映るVTuberが、メディアで実在の人物と双方向に会話を交わす姿。それは正にバーチャルな世界と実世界の境目が失われていくことを実感させます。
これは、例えば初音ミクがファンの前で行うライブより、発展段階として先を行っていると言えるでしょう。

そしてむしろ、もう1つが今回の本題。

VTuberのパーソナリティ、その憑代は?

建前として、ハイデガー提唱の「共同存在」という概念を提示しておきます4
哲学に詳しいワケではないので深い言及は避けますが、これを出す意図としてここでは「キズナアイのことを誰かが『元気な子だ』と言った、だからキズナアイは元気な子だ」と展開する考え方を知ってもらえれば大丈夫だと思います。
あるいはボクのように、百合が好きな方であるならば「CPの特質からそれを構成する2人それぞれの性格が見えてくる」という考え方を立場の1つとして覚えるだけで理解がしやすくなります。
これらに倣えば、VTuber(のみならず全人類)のパーソナリティは、それら1人ひとりと接点のある他人に拠所を持つということが言えます。
と、ここまで説明しておいてナンですが、建前ですのでこの考え方は一旦忘れてください

要するに、上述の考え方を破棄することで言いたいのは、おそらく一般的な視点では「VTuberのパーソナリティの憑代は実在しない」ということです。
VTuberのパーソナリティは、中の人、即ちプロデューサーやデザイナー、声優などのパーソナリティとは同一でなく、本質的なところを言ってしまえば「ただの設定」です56
VTuberは、存在も性格もバーチャルです。
有史以来、物語を始めとしたコンテクストの中に生まれ、バーチャルアイドルの勃興や2次創作の活性化などによりその枠を抜け出してきた、小説や漫画、アニメのキャラクターと、架空の存在であるという点では同質です
そういったカテゴリに属していながら、今や実在の人物と、本質的にも双方向なコミュニケーションを行っています7
この事実を以て、VTuberの架空性、あるいはバーチャリティ、そういったモノも限りなく現実との境界を失いつつあると言えるでしょう。

パーソナリティの喪失可能性

VTuberの数は、この1年で爆発的な増加を見せました。
同時に、彼等彼女等を企業が囲う一方で、VTuberを個人として始める例も複数出たらしく……そのハードルも下がっているように見受けられます。
ボクのようにTwitterでは幾らか猫を被っているタイプも、客観的に見ればパーソナリティがバーチャライズされている8と言える気もしますが、昨今のVTuberの隆盛はそれを助長し、加速させている向きたり得るのではないでしょうか。
VTuberに限らず、現実のタレントでも同じことではある9ものの、もしそういったエンターテイナーたちが、本来のパーソナリティに自信を無くし、それを見失ったとしたら。
あるいはそこまで到達せずとも、外面的な振る舞いと内面的な思考の隔絶が深まっていくとしたら。
そんな事例を想像し、どこかで心待ちにしてもいるのはボクだけかな。


  1. 「誕生日」だと何かと面倒なので。 

  2. 電脳少女シロ: 2017年6月23日から活動 / ミライアカリ: 2017年10月25日から活動 / のじゃおじ: 2017年11月8日から活動 / 輝夜月: 2017年12月4日から活動 / 各VTuberのWikipediaより引用。 

  3. 『魔法少女サイト』(2018春アニメ)で声優デビューって何ですかキズナアイさん。 

  4. 素人なりに突き詰めてみるに、この考え方は仏教に端を発する「関係論」にも結びついてくる気がする。 

  5. 少なくとも「VTuberのパーソナリティを中の人の誰かと一致させようとする試みがある」という文献は見つかりませんでしたし、そんな意図は非現実的だと考えています。まあ、これに関しては識者の意見をいただけると嬉しいところ。 

  6. のじゃおじなどはこの辺り、他のVTuberと多少異なる感はある。ただの印象ですけど。 

  7. Twitterにおけるなりきりアカウントにも触れたかったんですが、ああいった実例は形骸化している上、「本人」でも「公式」でもないので脚注での言及に留めます。ただ、架空のパーソナリティを持つことを明確にして双方向のやり取りをしている、という点で、考慮してみる意義がありそう。 

  8. ボク個人、自分自身のバーチャライズされたパーソナリティは「ただ全体の一側面が抽出されただけのものである」ないし「パーソナリティが更に発展した部分である」と評価しています。 

  9. 端的な例としては、キャラ付けですね。あれを仕事とするのは本当に感服します。VTuber然り、タレント然り、8のような捉え方を適用していいのだろうか、あるいはすべきなのだろうか…… 

Written on December 6, 2018