俗性が映し出す神々の現実:人々と寄り添って暮らす『ミソニノミコト』
「八百万の神」とよく言われます。それだけ数多く存在する、日本神道における神の概念が、人々の親しみを得、文化や信仰から果ては生活までに根付いているのを端的に感じ取れるフレーズですね。
とは言え神様は神様、馴染こそできても「神聖で気高い」とどこかで思いがちですが……(少なくともボクはそう)
ここは思考と嗜好の雑多極まる僻地
「八百万の神」とよく言われます。それだけ数多く存在する、日本神道における神の概念が、人々の親しみを得、文化や信仰から果ては生活までに根付いているのを端的に感じ取れるフレーズですね。
とは言え神様は神様、馴染こそできても「神聖で気高い」とどこかで思いがちですが……(少なくともボクはそう)
「この時こうしていたら」。
「あれがああなっていれば」。
そういう後悔もやはり、悲しいかなよくあるモノで。
つい昨日も、そういう後悔に苛まれたばかりなんですが……
「えっ、今回も特に粗があるワケじゃないですよね?」
テーマの一つである旅との親和性もあってか、登場人物がとかく内心の整理に逃避をしがちな本作。
しかし、別に逃げることそのものが悪いワケではありません。
何よりそれが、向かうべき目的地を見出したり、あるいは思い出したりするためであるならば。
結構、無意識に期待してることってあるんだなーと知った話。