スローループ50話感想と7巻範囲の暫定総括

さて、こちらでは、スローループ最新話を読んで色々思うところがあったのでそれをつらつらと。
本当はもっと万全の調子で書きたかった内容であり、エネルギー残量が不足していた関係もあってこれについてはしばらく反応すらできていませんでした。
近しいうちの一人であり考察なども含めて最もよく作品語りをし合う読者が、このことに関して「なんかあったんか」と感じていたようでちょっとクスッときたり、また「軽く心配」だとも言ってくれていたことについては感謝したり。
そんな小話もありつつ、長々前置きを書いている余力もそろそろなくなってきたので、早速本題に行きましょう。

今話で一番関心を寄せたい点の1つ。これはもうP51-2であろう、と声を大にして言いたいところです。
小春が予てからひよりに対して見せていた一面は、少なくとも「わがまま言わない」からは程遠い姿であったのは確か。最序盤なんて最も顕著でしょう。
ひよりが直々に言及したとなれば、この立ち回りに関して、今後ある程度明確な形での解答が望めると言って良いハズ。ボク個人は作中で明言されるか定かでないからこそ考察を楽しんでいる (=推理ゲームがしたいワケではない) 都合上、ここらを引き際にして小春の現在の振る舞いに関する考察はストップするつもりですが、いずれにしても興味深く、また楽しみであるのは確か。
元々この辺りの考察に関連して、前話の補記を途中まで書いたまま放置しており、もったいなく感じてもいたので、これを機に重要と思われる情報をまとめていきます。

小春に対する認識

・土屋さん —— 傷ついても悲しいことがあっても 嫌われたくなくて 空気を変えたくなくて 内心を悟られないように笑ってる子 (41話) / ピエロ (〃)
・恋ちゃん —— 衝動的に動く娘 (23話) / 今の小春はどっちかというとジョーカーな気がする (41話)
・一誠さん —— 家族をなくしてからずっと「いい子」だった (49話)
・ひより ——— 素直だなー / わかりやすいな…… (3話) / なんでも口に出す性格 (5話)
・小春本人 —— 結構私は打算的だ こうすれば面白がってもらえるかなとか こう言えば可愛く見られるかなとか (42話)

特筆すべきは3話及び5話のひより談。前述した通り、これがついに作中でも重要なポイントとして扱われるに至りました。
要因としてまず大きいのは、これが作中でもかなり浮いている認識である点。41話では土屋さんが自身の認識を踏まえ「アンタに合わせて無理してるんじゃないの」「アンタは分かってあげられてるの 小春のこと」とひよりに切り込んでいましたし、続く42話で小春の内心にもやはり、ひよりの認識と反する言語化が幾らかなされています。
(少し脱線しますが、この認識が残り続けていたのだとすれば、ひよりが41話にて「そんなこと考えたこともなかった」と述懐したのは無理もないことでしょう。初見時の印象を修正できて良かった)

小春の振る舞いに関しては、一言で表す必要がある場面において「打算」は比較的汎用性が高いのもあり、ボク自身もそれをしばしば用いてきました。
ただ、その行動傾向を一様に打算として論じてしまうのは、非常に安直極まりない読み方です。ひよりの談を抜きにしても、一面的な視点に固着してしまうのは考察の上であるまじき姿勢。それが読者である立場としての思考を経由していなければ尚更でしょう。
なので敢えて今、これまでの小春が見せてきた言動から、ボクもボク自身の言葉でその振る舞いを形容してみたい。これは言うなれば「自制」、セルフコントロールの極端な一例ではなかろうかと。

小春とおばあちゃんの記憶

本作において、折に触れて描写されてきている小春の過去。今回描かれた新たな記憶でも、自制の面はやはり見られます。
一誠さん不在の大晦日でも、気丈に振る舞う小春。対しておばあちゃんは、思わずいたたまれなくなった表情を見せて小春の頭を撫でていました。
記憶の中での様子、目覚めた時の行動。これらを見るに小春は、表に出したくない、もしくは出すべきでないと考えている寂しさがあったようです。ここまで押さえ込んでいてもそれはそれで支障を来すような感情を、こうして押さえ込むのはあまり宜しくない類の自制。日常でよく使われる意味にも近い自制の、悪い一面と言っても良いでしょう。 そうして読んでいくと、P43でおばあちゃんから呼ばれて振り返り、P44-3で笑顔を見せるまでの間、どのように外面を被ったのかもやっぱりちょっと怖い。P44-2で、おばあちゃんにだけ見せている (=読者も視認できない) 表情があるのが、また一層気掛かりになるポイントとしても役割を果たしている感がありました。

一方、視点を変えておばあちゃん寄りの情報も整理してみます。
46話で初めておばあちゃんの姿を見た際、認知症を抱えているのではないかと読んでしまったものでしたが (おばあちゃんが食べた物を食中の段階で既にメモしていたのと、その際のやり取りがどうしても引っかかっていた) 、ちょっとここら辺は早合点だったかも知れません。
最低限、今回描写された過去の段階では、表情の切り替わりや小春への呼び方がはっきりしている点を踏まえると、そこまでには至っていない様子。
現在に関してはまだ肯定の材料も否定の材料も出揃っていないといったところでしょうか。最後の「はるちゃん」呼びが記憶ではなく現実での呼びかけなのであれば可能性は薄いでしょうし、もし黒だとしても初期段階と思しい。
ともあれ、小春が一誠さんと二人だった時期に拠り所の1人となってくれていたおばあちゃんが、今記憶を失っていく只中にあり、小春としてもまた苦悩の一部を背負う形になっているのだとしたら……また色々想像したくなるのもあり。
様々な面で、注視を続けていきたいところです。

他細かなポイント

P37-4「わがまま言わないの」からの小春の表情の変遷が何とも思わせぶり。自制を肯定されている気がしたのかなーとちょっと思ったりしつつ、前後に確たる根拠もないのに思い切り今の自説で固定された読み方をしたなと反省もしつつ。
P39でのお風呂上がりのひよりは、ひより好きとして思わず見惚れてしまう姿でした。やっぱり女の子というか、女性だなあと何となく思ったり。単純に綺麗。
「箱根みやげのとろろ入れたらオリジナリティでるかも……」はひなたさんの料理下手ぶり炸裂ですね。多分今回では一番笑ったところ。
P46-3とP47-2、(特に後者は) あまり何てことのない表情だと思うんですが、こちらも妙に綺麗。というか今回、全般的に小春の表情が光っている印象があります。
P50とP51も同じで、デフォルメがかかっていながら不思議なほど目に止まる表情の数々。
で、件の重要発言であるP51-2。ひよりがこのタイミングで小春の「わがまま」について言及するというのはつまり、鍋の〆が「ラーメン一択」発言をわがままと認識しているのではないかと考えられて仕方ないんですが……それは流石にどうなのよ。

今話と7巻範囲の総括

さて、こちらは冒頭で書いた「なぜ今話への言及が遅れたのか」にも関係してくるお話。
ちょっと厳しめの見解になりますので、気分を阻害された方は遠慮なくブラウザバック等していただけると幸いです。

まず言えるのは、ボク自身がしばらくの間万全の状態で最新話を読めていなかったこと。
もう一つ確かに言えるのは、7巻の締め括りとしてあまり良い印象をもてなかったこと。8話も使っておきながら、これまでより1巻分のエピソードとしては薄めに終わってしまったのではないか、というのが初見時から拭えない感想でした。

1つ目として考えられる大きな要因は、まず7巻が久々に8話構成となっている点。それも43話は作品外の事情から幾分短めの回でした。これが各話構成に影響を及ぼしているのは、本作においても (ここでは明言を避けますが) 一応2つほど根拠があることです。
2つ目は、その直近8話の構成を振り返ってみた時にすぐ見えます。43話と44話がシナリオの観点からするとインターミッションに近いエピソードである点。ここを本作全体における7番目の起点と捉えるには不足が多いですし、その意図が実現できていたとして尚、物語の濃度的に無理があった可能性も充分あり得ると思われます。幕間と扱うべきエピソードは本作でもしばしば見られますが、それを巻の冒頭にもってきたのではやはり印象をやや損ねてしまうのも道理。
3つ目に、6巻から引き続いて小春の内面にクローズアップしているスローな流れ (シナリオの縦軸) に対し、それを補強して盛り上げる要素 (シナリオの横軸) が丁寧に関連づけ切れなかったり、短く収まり過ぎたりなどで乏しくなってしまった点。前者はおばあちゃん周りや、海凪家が関わっていながらインターミッションの域を出られなかった43話と44話。後者は恋ちゃんと恋パパのちょっとした不和。1点目の根拠のうち片方とも関連していますが、この8話のまとまりを見た時の盛り上がりにはこれまでより欠けてしまっているとどうしても言わざるを得ない。

過去、21話でも同じような指摘をしてはいましたが、それと比べても惜しさが目立っているように思えます。 小春の物語は気になるところですし、見ていて楽しいのも確か。ですがそれで読者が満足するか、あるいはシナリオとしてのまとまりが強くなるか、と聞かれたら、間違いなくノーと答えます。
もしひよりと小春の立ち位置が正反対で、ひよりばかりがクローズアップされていたとしても、ここは決して変わらないと断言できる。それはボクが、『スローループ』を作品全体として高く評価し、また気に入ってもいるからです。
早い話が「これくらいに甘んじる作品ではない」ハズだという、ちょっと贅沢な悩み。それは、今まで積み重ねてきた描写の数々が、まだ不意になるまでには至っていないからこそ確信していることでもあります。
考察をひとまず打ち止めとしたポイントに関しても当然、どんな真実が待っているのかと非常に期待しています。

突き詰めていくと、極論43話がもう少し高密度で描かれていたとしたら、今回の印象もまた違っていたとは思うんですが……
まあ、たらればの話をしても仕方のないことです。擁護する意図はないにしても、事情があったのは確かでした。
ひとまず頭を切り替えて、再び作品を楽しむフェーズに戻っていきましょうかね。

終わりに

色々思うところがあったなら、やはり上手く吐き出すに限る。やっとだいぶすっきりした気がします。
さてさてここからは、また楽しい考察のお時間。
あんまり良いお姉ちゃんじゃなかった、と42話にて自身を俯瞰の上述懐していながら、ひよりの前では曰く「わがまま」な面もしばしば見せている小春。現時点で把握できる限り、件の事故より前の時点で、彼女のわがままが発動したと (ボク個人の目から) 見えるタイミングには、いずれも裕子さんと夏樹君の2人が関係しているようでした。
この4人がどのように繋がっていくのか。そこを改めて捉え直してみようかな。

Written on September 27, 2022