旅すれば誰しも自分を見つめ直す:『旅する海とアトリエ』1巻

亡き両親の形見を頼りにした、自分の名前の意味を知る旅。

1話より

絵を描き続けてきた自分の心に、折り合いをつける旅。

3話より

ヨーロッパから始まった、それぞれの目的のために各地を巡る旅の中で、彼女たちは出会い、そして変わっていく。

2話より

表情もこんな風に変わったり。

8話より

目にする景色、口にする料理、そして手にする思い出を胸にその旅は続く。
待ち受けるのが例え前途多難な明日だったとしても。

1巻表紙

それが『旅する海とアトリエ』。

まんがタイムきららMAXで連載中。「一緒をに旅している気分になれる」と専ら評判の物語。
今回はそんな本作の1巻発売を記念して、布教記事を書いていきます。未読の方はきららWeb内の試し読みきららベースをどうぞ。
他方これまで通り、既に本作をご覧になっている方々にとっても有意義な記事にするつもりで。
そしてボクが書く記事恒例(?)の発売巻範囲外に関する大きなネタバレについては……最新話が15話ですし今回は心配いらないんじゃないかなと思っています。
14話の話題は多少出るかもしれませんが。

あらすじ

今は亡き両親が名付けた「海」という名前の由来となった海の景色を探して、海外旅行初ひとり旅を決行した七瀬海。
ポルトガルで出会った画家の少女・安藤りえと一緒に、「海」を求めて世界を旅していく中で、ふたりが出会うものとは…?

まんがタイムきららWebより

まずは一目で分かるその魅力

読み手を一発で魅きつけることにかけては随一と言える点が、本作にはあります。
それは何かと言うと……

6話より

7話より

9話より

この圧倒的な精密さを誇る舞台の描写
4コマの枠組みから適度に外れつつ、その魅力を印象づける形で海さんやりえちゃんたちを迎える風景が描かれます。
何がスゴいって、こんな密度の一幕が毎回のように突っ込まれてくるんです。アルハンブラ宮殿については作者・森永ミキ先生が以前「手首の運の尽き」などのパワーワードと共に振り返ったこともあるほど。
絵的な迫力とリアリティに関しては、もはや言葉も不要。

濃厚な風景描写の贅沢すぎる使い方

本作において、風景描写と双璧を成すほど丁寧に扱われているポイントがもう1つ。
登場人物のリアクションです。
2話でロカ岬から臨む海(当記事3枚目の画像)に対し、海さんは印象的な反応を一息のうちに示しました。

でも りえさんが怖いと思ったこの海を見たとき わたしわくわくしたんです
こんな綺麗な海から冒険が始まったら どんなにすてきだろうって
見ている景色はおなじでも 今感じているこの気持ちは他の誰ともちがうわたしだけのものなんですよね
りえさんにはりえさんの 私には私の……

6話では、ネルハの海を見た海さん、りえちゃん、スペインにて名所の案内人を担った写真家のエマさんがそれぞれ海に対して向ける思いを語ります。

海「私 ポルトガルとスペインを旅して ちょっとずつ海が好きになってきた気がするんです」
エマ「あたしも海は好きだよ 綺麗だし ずっと見ていられる」
りえ「私も海好き! いろんな青がきらきらしてて……」
エマ「ゆ……」
りえ「りじゃない!!」

後半2行は百合厨な写真家であるエマさんの趣味が漏れただけなので、未読の方はお気になさらず。

また9話、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会にて、カラヴァッジョの絵に感銘を受けて飛び出た台詞は、とりわけ絵の中の風景と読者を繋ぐ機能が自然に折り込まれてもいて分かりやすかったり。

まさにこの教会のこの場所に経って この絵に心を動かされた人がいっぱいいたんですね

食べたくなったら食べて泣きたくなったら泣く素直さをもつ海さんを始め、海さんと旅路を共にするりえちゃんや、各地で出逢う案内人が連ねる思い思いの感情。
それが本作で描かれる旅をより身近に感じさせ、「一緒に旅をしている気分になれる」要因にもなり得るワケです。

パエリア

そんな描写の丁寧さが強みである反面、要所要所で盛り込まれるデフォルメの表情がどこか癖になるのも本作の特徴。

3話より

パエリア。

12話より

イタリアにおける案内人であり極端に内向的なマリアさん、核心を突くことで海さんを追い詰めてしまわないかと気に病むあまりこの表情。

とてもかわいい。
ボク自身、8話辺りまではこのSDタッチを通常のタッチ以上に楽しんでいた節があるほど。
本作で描かれる登場人物はきらら作品の枠において比較的高めの頭身ですが、こうしてより多くの読者ヘ向けたアプローチも忘れていません。
特にお気に入りなのは、6話で一行がホテルに着くや否や部屋のベッドに横たわって寝つく海さん。

主人公・七瀬海の高すぎる感受性と寛容性

ここまでに述べたポイントも本作の魅力を語る上で外せないモノですが、ボクが『海リエ』を紹介するにあたって最も言及しておきたかったのがこれです。
本作は登場人物もまた、一癖二癖ある人物ばかり。
絵を描くことに関して悩みながらも、元々ある決意に従って旅を始めたりえちゃん。
「待ってればまた(良い写真が)撮れるようになると思って」いる能天気さの一方で、気さくに接しつつりえちゃんの内心を見抜く、まさしくカメラもびっくりの観察眼をも発揮するエマさん。
海さんの着物をよく見せてほしいと言おうとして「脱いでくれませんか」と事案同然の口走り方をしたほど口下手なファッションデザイナーの卵・マリアさん。
彼女たちを差し置いて優に抜きん出た異質さを備えるのが、主人公の七瀬海さんでもあるのです。

その正体を覗かせるのは、先にも少し触れた海さんの素直さが暗い負の面にも向いていると思しき言動の数々

そもそも、素直な海さんには物事をそのまま受け止めすぎる嫌いがあるようで。
1話の「リス盆」3話の「窓リード」や「ダリって誰(だり)?」など、その地に絡むギャグを即座に浮かべたり。
スペインでの案内役をエマさんが買って出た4話では、りえちゃん曰く「悲しいほどちょろい」様を見せたり。
5話でフリヒリアナを訪れた際は、エマさんに倣ってサングラスをかけた(一方りえちゃんはやんわりお断り)かと思えば、現地の白い家々を見たことでよもやの白米食べたい願望が発動。どんな連想だ
7話ではキリッとした表情が食事を前にあっさり緩み、10話では「(作った服を)マネキンに着せて人と喋る練習したり」すると語るマリアさんに対しド直球に「怖い」と言いかけてりえちゃんに止められ。
先述の「目の当たりにした風景に対する率直なインプレッション」なんかも、その素直さの中でポジティブな側面と言えるでしょう。
一番海さんの間近にいてそのストレートな言葉に耳を傾けるりえちゃんが、一点の曇りもなく絵を描きたいと感じる真っ直ぐさを少しずつ取り戻しつつあるのも、海さんの素直さによるところが大きいのです。
これらは良く言えば、海さんの名前に違わない懐の広さや心の豊かさでもあります。

が。

一方で、海さんは深いところに闇を抱えてもいるようで。
そのうちの1つが、時折見せるなかなか容赦のない姿。

2話より

この口調と表情ですよ。
2話、自らの過去を語ったらりえちゃんがあんまりな反応をしたとは言え、基本的に穏やかで怒りに類する感情からは程遠い海さんなら、悲しむかショックを受けそうな一幕で。
海さんが自分の名前を嫌うようになった経緯もこの2話でしっかり触れられていますが、こちらのベクトルの闇はその経緯の中で受けた闇を無意識に他人へ向けるようになった結果なのではないか、とボクは睨んでいます。

そしてもう1つは、海さんが旅の中で感じるようになった苦悩です。
りえちゃんにとっての絵、エマさんにとっての写真、マリアさんにとっての服があるのと異なり、誰かを笑顔にできるものが自分にはない、とは海さんの談。
12話で語られたこの一面は他でもない、何もかもを受け止めすぎる海さん自身の悪癖が弱点となって露呈した形とも見れるハズで。
海さんには周囲の心を溶き解して寄り添い笑顔にする、曲がらない優しさに裏打ちされた海さん自身の笑顔があり、実際りえちゃんやマリアさんに対して効果的に働いてもいるのですが、海さんが自分に自信をもつのはある意味、名前の意味を突き止める以上に多難かもしれません。3人にある「誰かを笑顔にできるもの」は海さんと対照的に、どれも目に見えるものなのですから。

そんな海さんがいかにして自分の在り方を見定めていくか。
これも、『海リエ』注目のポイントと言えます。

終わりに

そういえば、天然なところも多い海さんとしっかり者のりえちゃんには割かし歳の差があるんですが、未読の方にはどっちが何歳年上に見えるのだろう。ちょっと気になる。

さておき、14話からは舞台を移し、エマさんやマリアさんにも全く引けを取らないアクの強さをもつ案内人の元でオーストリアを回り始めます。
……しかし地図を見れば一目瞭然ですが、オーストリアって内陸国なんですよね。フィーリングで旅するコンビは全く伊達ではない。

そのオーストリアで1800年代に生まれた詩人、Rainer Maria Rilke は生前こんな言葉を残しています。

Die einzige Reise ist die innere.
(en; The only journey is the one within)

これを『海リエ』の文脈に合わせて意訳したのが、本記事のタイトルの一節。
普通にこの作品を読んで楽しむのはもちろん、自分を見つめ直す旅に出た時、そのお供に本作がありますように。

Written on November 27, 2019