壁
人はいとも容易くいなくなる。
高校時代の先輩の中でも一番文武両道かつ温厚篤実で尊敬できた人は、ある日の夜に眠ったまま起きてこなかった。
人一倍、いや人の三倍くらい温室育ちだった顔見知りは、決して同情されないままいなくなった。
大学の同期だって、数人は遊びほうけているうちに講義に来なくなった。
創作をやっているうちにできた繋がりの中でも、たまに絵や小説を描いていたハズなのにぱったりと顔を見せなくなった人が何人もいる。
ボクには分からないほどの苦しみを抱えて創作活動で得た繋がりを自分ごと捨てようとする人も、傷つけられた上に今後も傷つけられるかもしれないし相手を傷つけたかもしれないみたいに言って跡形もなくなる人もいる。
アマチュアだろうとプロだろうと、高品質で素敵な作品を世に送り出す傍ら思い出したように忽然と姿を消す(あるいはそれを試みる)人がいる。
かく言うボクも、時折ふと人間関係をリセットしてきた人種で。
その時々で属していたコミュニティのメンバーにとっては、同じように「いとも容易くいなくなる」者として扱われたのかもしれない。
だってしょうがないですよ。
他人は自分が買い被るほどには相手を気にかけないし、自分が見くびるよりは相手への思慮をもってるし。
柔いんだか堅いんだか曖昧な繋がりで人と人とのネットワークはできてるから。
誰もがエゴ丸出しにも拘わらず辛うじて保たれてる繋がりの中、思うことが1つ。
誰もが自分にとっての救世主がいてくれたらと願ってるんじゃないか、と。
何であっても良いんですけど、軽いモノから重いモノまで、その人の苦しみを薙ぎ払って豊かな道へ導く手助けをしてくれる誰かがいたらと願っているハズで。
で、実はそれがそこらにいる何の変哲もない他人だったり、ずっと仲良くしてきた無二の親友だったり、はたまた家族だったり、可愛い猫だったりする。
でも、みんなエゴで生きてるから、誰かにとっての救世主はそうそうその人の元にやってこない。
救世主は得てして気紛れなワケだ。
んで、何か決断をするのも、決断するその背中を押すも引き戻すも、全部エゴでしかない。
だからこそ、熟慮に熟慮を重ねて決断してね。
……そんなよく分からんこと書いてる暇があったらさっさと寝ろ、と自分に言い聞かせる早朝3時半なのでした。