原典への向き合い方と原作者への向き合い方

ちょっとしたきっかけでこの間、とある作家さんのサイン会に行ってきました。

ボク自身はそれまで、作家のサイン会に行ったらと考えてもきっと行動はしないだろう人種でした。
その考えが揺れ動いたのは本当にちょっとしたきっかけで、その作家さんがサイン会をやるのはきっと珍しくなるハズだ、と聞かされたことに端を発します。
普段割と思いつきで物事を進めるボクが参加を決めた理由自体はただただ興味本位、あるいは「物は試し」くらいでしかなかったんです。
でも、好きな作品の原作者との向き合い方を1人の2次創作者として自分なりに熟慮してきたボクにとっては、そんな気紛れが苦悩の始まりになってしまったのでした。

そんなワケで、今後同じ轍を踏まずに済むための戒めの意味も込めて、ここに苦悩の原因とその解決までを書き留めておきます。

2次創作=”Fan fiction”?

2次創作って、英語ではそう呼ぶらしい。
イラストに限れば「ファンアート」なんてフレーズはこっちでも比較的耳馴染がありますね。
これを知った時、ボクは「2次創作ってファンだからこそ作るモノなんだな」と再認識し、目から鱗が落ちた記憶があります。
ボクがサイン会に行ってみようかと揺れた一番のきっかけになった方も、(後々になって聞いてみると)2次創作観がまさにこんな感じの方でして。
更に言えば、その作家さんやその他愛好する作品の原作者の方々個々人を誠実に推す方でもあります。
肝心のボク自身とは、まあ全くスタンスが異なるワケです。

ボクの中での2次創作は作品の見方を提示したり掘り下げたりするモノであり、自己評価上(縦んば作品のためになるとしても)作者のためになるようなモノでは断じてありません
そして先日もブログに書いた通り、ボク自身は作品を一歩引いた視点で解釈し味わうためなら、場合によっては作者をノイズ扱いすらする性分で(何度も言うようですが、作品をちゃんと見つめることなどで作者への礼儀と敬意は自分なりに払っているつもりです。それでもそんなボク自身への客観的な評価は知らない)。

だからこそ「ボクがサイン会なるモノに参加して良いのか」、その不安は途轍もなく大きかったのです。

作品への嗜好が原作者と直接繋がった偶然

この話、件のファンの方にもその後何度か聞いていただきまして、それだけ作品にちゃんと向き合っていれば絶対大丈夫だからと背中を押されはしました。
ただ、そういう風に見てもらえているんだなと本当に元気づけられたものの、この問題がボク自身のスタンスに起因していた以上根本的な解決には至らず(その方には本当に申し訳なかったと……この場で改めてお詫びを申し上げます……)。
結果的にサイン会への不安を払拭できた決め手は、作品に対するボク自身の嗜好が作家さんへと直接繋がり、その作家さんと作品が切っても切り離せなくなったことでした。

少し掘り下げると、その作品にはビジュアルの分だけボクが他の登場人物より気に入っている人物がいます(ボクの場合登場人物を好きになるのはほぼほぼ内面が理由で、ビジュアルの観点でボクの嗜好における差がなければ登場人物への愛は等しくなる)。
その人物はとあるアイテムをよく身につけているのですが、それを身につける習慣が原作者であるその作家さんに由来していたんですね。
これはボクにとっても「作品を好きでいることがそのまま作家さんへの感謝と直結する」形になった嬉しい偶然で。
そして幸運にもサイン会の前にその事実を知れたことで、やっとボクは後ろめたさを丸ごと吹っ切ってその作家さんに作品への愛と感謝を伝えられたのでした。

本筋よりも長くなりそうな余談

まず、そもそもボクがどうして2次創作にここまで厳しい自己評価をしているかについて補足。

これはいくつか上述していない理由もあります。
特に物語とそれ以外の媒体とで2次創作としての意味合いが大きく異なるのは、見逃せないポイントの1つ。
例を挙げると、登場人物の外見は誰が見るかが異なることで生じる差異も多少は許容されるモノです。実在する人物の似顔絵が描き手によって様々であるのと本質的に同じ。
だからイラストは原作者のためにもなり得、同時に国内では「ファンアート」というフレーズが生きているのだと思います。
が、登場人物の言動や作品全体を追うのは全く異なります。
描き手の印象で1から100までを語れるようなモノではなく、どんな2次創作をしたとしても見る人が見れば「これはあのキャラじゃない」「こんなのは原作から掛け離れてる」と異を唱えられるかもしれません。実在の人物に置き換えたらいわゆる “RPF” あるいは「ナマモノ」、活動するとしても細心の注意を払うべき領域です。
(無論架空の人物であるからこそ、ここまで厳しい評価を下すのは行き過ぎと言われてもそれはそれでご尤も。繰り返しますが、実在の事柄を引き合いに出しているのは例え話です)

また、ボク自身がもともと「便所」と呼ばれるアンダーグラウンドなところで投稿されたSSに触れていたのも大きく影響しています。
その場に馴染む好き勝手なSSを結果的には今に至るまで気に入っていて、またボク自身が2次創作を書くにあたって「考察を物語に落とし込むのに必要ならどんな展開でも使う」と決めているのもあり、作品の原作者と2次創作者の垣根が非常に低くなった今でもボク自身は非常に2次創作への引け目を感じているのです。
好きな作品の原作者に2次創作を寛大な心で見るなんて作家さんもいるにはいますが、作者のサイン会に行きたくなるほどの作品にそんな稀な例はなく……

加えて、作品と原作者の繋がりについても補足。
ボク自身も一応1次創作をやっていますが、いわゆる「ウチの子」は「創造主が親」の裏返しではなく「気づいたらウチを別荘の1つにしてた子」くらいの存在なんですね。
好きな作品において場合によって作者の存在を切り捨てているのは、(歪ではあるとも思いつつ)ボクなりの作品への向き合い方であり、そしてボク自身が物語を意識的に客観視する方策の1つでもあります。

まあ……あれです。
結論、ボク自身の感性はやたらめんどくさい。
ついでに言えば、通したいスジがあるんだったら己の思いつきがそれに反しないように普段から心がける義務がある。
……今回はそんな感じの話でした。

Written on October 27, 2019