町京子は目線も子供?
『亜人ちゃんは語りたい』3話を視聴していて、素人にも分かる丁寧な演出に加えてちょっとした仮説が立ったので備忘録。
Bパートで町と佐藤先生が資料を整理するシーン。
資料室に入り、町から「大人の女性」という言葉を受けた佐藤先生は徐に町に対して背を向ける。
これは先生と生徒としての距離感であると同時に、佐藤先生自身が周囲との距離感を掴めていないことが現れている場面か、と思いながら見ていた。
続いて町が高橋先生への好意を吐露すると、途端に佐藤先生寄りから町を見る視点がなくなる状態が発生する。
それまでに両者は高橋先生に対して好意を持った描写がなされているので、2人は恋敵であるということが佐藤先生から見れば明白になったワケだ。
そのためか、佐藤先生は余計に町に対する距離感を掴みにくくなる。
しかし町が「自分は子供っぽい」という悩みを打ち明けると、佐藤先生は町の隣へと場所を移して彼女の相談に乗り始める。
個人的にはその後高橋先生の好きなところ談義でハッスルし始める佐藤先生がとても面白いのだけど、そっちに関しては一先ず置いておくとして、
この一連のシーンには、不器用で経験不足ながらも町の悩みに寄り添える教師・佐藤の姿とその心理がカメラの視点とレイアウトを利用してきちんと描き出されているなー、と感じたのが1点。
更にこのシーン、町に纏わる部分をピックアップすると「町の顔が机の上にあり、佐藤先生の視線の高さと比較的距離があること」が上げられる。
視線の高さの差は町寄りになると必然的に見上げる構図を増加させやすくなるが、これによって大人(佐藤先生)と子供(町)の視点の違いをも描写しているのではないかと感じた。
以上2つのポイントから、このシーンは登場人物2人の立場や心理を巧みに描いているという印象を強く受けた。
さて、次はもう少し突っ込んだ話。
町京子という人物は普段自分の腕で頭を抱え、教室など机がある環境ではそこに頭を置くという活動方式を取っていることが多い。
これ、個人的にはとても煩わしいのではないかと疑ってしまうのだ。
というのも例えば、2話では高橋先生が校長先生に対して「頭を抱えていると手が塞がる」というデメリットから町に対し特例としてリュックの使用許可を出すよう頼んでいる場面がある。
デメリットを抱えた活動方式を取るなら、その前にデメリットのより少ない活動方式を模索するのが自然ではないだろうか。
また、同じく2話では高橋先生の「食事はどうするのか」という問いに対し、胸の前に頭部を固定して食事を取っているシーンがある。
この方法、個人的には「これをいつも使ったらいいじゃん!」とツッコミを入れたくなった(デュラハンという特殊な身にはそれができない事情があるのかもしれないが)。
とまあ、彼女の頭部の扱いに関してはちょっと疑問点があるということを感じてくださればありがたい。
思うにこの視線を下げる頭部の扱いは、町京子が子供っぽい目線を持っていることを見た目からも表現しているのではないかというところがある。
町のこの性質を強調したシーンでは、大いに使われる設定なのではないだろうか。
また更に付け加えるとすれば、そもそもこの設定は当記事の前半で提示した演出の必然性をより高めるために機能している可能性も考えられる。
以上から注目すべき点としてピックアップしたい点だなーと強く感じた次第である。
まあインパクトに関して言えば、今回最強だったのは「セックス(エコー)」でしたけどね。
『亜人ちゃん』、今期ではかなり好きなほうに入るので今後も楽しみ。